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2014年4月20日

映画「ノーヴォイス」を取材してきました。 >>単なる日記 

武蔵小山にて映画「ノーヴォイス」の上映会があり、主催者などの繋がりがあったので取材してきました。
「ノーヴォイス」というのは、犬や猫たちの私たち人間には伝わり切らない声を聞いて受け止めて、限りなく捨てられる命ゼロを目指した映画です。 http://no-voice.com/index2.html

犬や猫が10万匹以上も毎年殺処分されています。
理由があって飼いきれなくなって捨てられた動物たちは、動物愛護センターに連れていかれ、1週間ほど経過して引き取り手がいなければ殺処分になります。(動物愛護センターの人たちも、動物が好きで獣医の大学を出てその道につきます。喜んで処分など誰もしていません)

※犬を飼っている方は、マイクロチップなどで飼い主がわかるようにしておきましょうね。万が一、何かで離れ離れになる可能性はゼロではありませんから。

犬を買う。例えばドイツでは、ペットショップで犬を売っていません。ブリーダーか、ティアハイムによって譲渡してもらいます。

日本ではどうでしょうか。
飼いたい、買いたいときにお金があれば買えますよね。

また、皆さんはあまりご存じないかもしれません、多頭飼育崩壊。
「かわいそう」「かわいい」から、少しづつ拾ってくる。でも、一人の人が沢山の犬や猫を飼育する限界を超えて、周囲からの糞尿の苦情、生活が困窮する、動物もゴハンを食べられなくなる。飼いきれなくなる。

でも、その人はとても良い人であったりするんです。
「誰も助けてくれずに、かわいそうだから」

その言葉はとても、とても、優しい言葉です。

でも、歯止めが利かなかったのは弱さ。
でも、誰も助けなかったら動物の命は失われていたかもしれない。

捨てられていた犬を拾う。拾ったら、拾った人が次の飼い主を探さなければいけなくなる。どこかがおかしい。優しい、心を動かした人が苦しまなければいけない。でも、もしかしたら捨てなければいけなかった人も、とても苦しかったのかもしれない。

わからない人は、ただ、動物のことだと感じるかもしれません。

しかしこれは、人が生み出していることであって、弱さや欲にまみれているのも人です、そして、きちんと変えることができるのも人です。

生まれてこなければよかったという命などないはず、いつもそう思っています。

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投稿者 debizoh : 2014年4月20日 16:15



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