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2007年3月19日

立花隆:東大の「産業総論」で露呈 日本人の知力崩壊が始まった >>単なる日記 

立花隆のコラムが日経BPの記事として書かれている。

論旨は1優秀なプログラムが書ける学生がいて、Googleに執拗に登用されようとしている、で、優秀な人材は一握りしか日本にはいない(数少ない日本の頭脳が海外に流出すると問題提議しつつ)、「なぜ日本には優秀なプログラムを書ける人間がいないのか」その根幹としての問題は「ゆとり教育にある」という導きである

なんというか、そういう答えを出すために書き始めたとしか思えない文章だ。

ゆとり教育と、アルゴリズムが書けないことの因果関係は何もない。
Coderと、アルゴリズムを作れる人間は違うのだ。数学的に考えられなくても、「論理立って」考えられれば良い。論理立った言葉を集約することが出来れば、それはアルゴリズムとし成り立つ。後はそのロジックを元にCodeに落とし込むのは別の人間がやればいい。
全てが全てプログラムそのものを書く必要性など無い。

求められているのは 「物事の根本的思考法」である。「論理立って考える」ことができること、それだけだ。
昔のような詰め込み型では尚更に、物事を論理立って考えられる人間など生み出してきていなかった。
ようやく各自の頭で考えられる人を育てられるスタートラインに立ったところだったが、判を押したようにテスト結果だけを求める声に負けてしまった感がある。こういった文章をありがたがって読んでしまうこと自体が、どうかと思える。
まあ、向こうの方が大家なので何を言っても、というところだが、余りにもミスリードが目に余ったので記述してみた。

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投稿者 debizoh : 2007年3月19日 20:27



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